キヨシとか多村とかの話はまたまとまってから・・・
#大ちゃんの事もあるが。
個人的には、これだと「路線変更」に見えてしまってしょうがないんだよな・・・や、変更と言うよりも、悪い部分だけ引き継ごうとしている、と言うか。
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今日は代休。
という事で、朝からちょっと『東京ザナドゥ』をやってみた。
#てか、「東京」じゃなくて「東亰」だってことについ最近気付いた次第(ぉ
書き間違えとか面倒なので今後も「東京」のままいきます。
まぁタイトル通り・・・感想をどう表現していいのか困る印象。
概ね、アクションゲームとしての部分はそう"悪くない"。
#「良い」ではない。
なんとなくだけど、『PSO』のような「お手軽狩りゲーアクション」のように思える。要するにアクション性としては緻密さはないけど、大雑把ながら爽快感だとかそういうのを主眼に考えれば、割と遊べる出来、というか。まだ序盤故大した事は出来ないけど、ちょっとぬる過ぎる気がしなくもないが。
#避けて攻撃してを繰り返してるだけで楽勝。
ただ、評価システムは必要だったかねぇ?そういうゲーム的な都合を遠慮なくぶっこんでくる所が、余計に・・・あ、これは次の話ですね。
問題は世界観と言うかキャラと言うかストーリーと言うか。全部だな(爆
#『閃の軌跡』でも散々問題として挙げたけど。
「もっと酷い」という印象。現代劇という時点で、どうしてもプレイヤーは「現代(リアル)」と比べてしまうとわけで、「コレはゲームだ」と分かっていてもゲーム的な都合に目を瞑り難くなったりする。今の所(最初の章をクリア済)、ソレの悪い点ばかりが目立つ出来になっている。
#素直にファンタジーな世界観にしときゃいいモノを。
何より主人公が酷い。「ゲーム的な都合」「ヒーロー的な都合」「中二的な都合」を全て説明なしにぶっこんで来るような、それはそれは恐ろしい主人公でした(苦笑
#日常を描いているくせに、日常に突如現れた何某か、と物凄く簡単に受け入れるんだよな。
そういう描き方をすると、その何某も"軽く"なってしまう。何だろう?今時、内容の薄っぺらいラノベでもここまで酷くはないんじゃないの?と言いたくなる様な凄まじい導入だった。
あとね、これは最近のキャラゲーによく見られる傾向だけど、「主人公が無駄に喋り過ぎる」ことでプレイヤーが馴染めなくてもうそこで拒絶反応出してしまいかねない、という欠点を抱えちゃってる。
#自己主張強すぎなんだよ。。。
最初、設定とかから「ペルソナみてーだな」と思ったんですが、とんでもない・・・まだペルソナならよかった、ってくらい主人公の個性がダダ漏れしてくるので(だからモノローグまで喋らせるなよ、10年以上前に指摘した和ゲーの悪い所だぞ)、プレイヤーがまるで入り込めないというか。
そうだな、端的に言うとこうなるのか。
「やってて恥ずかしい」
さて・・・ハードル高いぞ、このゲームをクリアするのは。やっぱキャラクターとかストーリーって大切だよねぇ・・・。アニメかなんかと勘違いして作るからこうなる、という悪い見本みたいになってる。「ゲーム」はプレイヤーが居て、少なからずプレイヤーがゲームを描ける部分が無ければやっぱり駄目なんだよな。
#アニメや漫画は自己主張ないと逆にダメだろうけどね。
てか、群像劇だとか、そもそも主人公と言う存在とプレイヤーがそうシンクロする必要が無いようなつくりになっていればともかくなんですけどね。残念ながらこのゲームはガッツリ主人公=プレイヤーだから困る。
余談ですが、自分が最初「ペルソナみてーだな」と感じたのは、ロード画面で「NiAR」?とやらがクルクル回っている画面を見た時です。確かペルソナではタロットカードが同じように回ってたんですよね。
まぁ偶然なんでしょうが、こういうのは極力排除してほしかったなぁ。
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う~ん、「ゲーム出来る時間」という限りあるリソースをこのゲームの為に今使う必要があるか?非常に疑問になってきた・・・コレやるくらいなら、VitaはPSP版『うたわれるもの』でもしてた方が良いような、、、
さて、今夜『よるのないくに』も来ますが、こっちも評判芳しくない・・・普通に『MGS5』続けてた方がマシなんだろうか?
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