少し前の話題になりますが。
治部少輔の筆誅亭日乗さんは、これに関係してこういう感想を書かれています。
佐々氏の著書を読んでいると、佐々氏が後藤田氏の一番弟子だという意識が伝わってくるし、安保闘争の中で培われた信頼関係というのは他人にはうかがい知ることの出来ないものだったろう
自分も昨年集中的に5~6冊くらい佐々氏の著書を読みましたが、氏の故後藤田氏への敬いの"程"は他人がどうこう言えるようなものではない域なのだ、という印象がとても強かったのを覚えています。
がしかし、
けど、こと最近の内政や外交に関しては、このお二人の意見は正反対だったと思う。
憲法改正問題、海外への自衛隊派遣、イラク戦争への対応、対中国関係、小泉首相の政治
そうなんですよね。
なんせこうした話に興味持ったのがここ数年だったので、映画「突入せよ!あさま山荘事件」を見た辺りだっただろうか、漸く「後藤田元副総理とはどういう人物だったのだろう?」と興味を持って調べたのは。
で、どうも佐々氏の唱える「危機管理」の観点による国防論等などの意見とは正反対の論を唱えられている方だと知って驚いたものです。
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氏曰く、
「国民の生命・身体・財産の保護こそ国の最大の任務」という「護民官魂」を教わりました。引退してからもその姿勢は一貫して変わらず、良識ある元老として「生涯現役の官房長官であり副総理」であったと思います。折しも総選挙で自民党が大勝し、昨日国会が開会しましたが、この大事な時に天下のご意見番としていちばん必要な方だったと思います。
とのこと。
その手法は違えど最終的な目的は同じところにある、ということだろうか?
傍から見ているとどうもその「ご意見番」としてのご活躍が、結果的に「危機管理」を邪魔しているようにしか見えなかったわけですが、それでも氏にしてみれば故後藤田氏の「ご意見」は常に時の政府に対する諫言として必要だった、ということなんだろうか。
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治部少輔の筆誅亭日乗さんはこうまとめています。
いずれにせよ、後藤田氏の逝去は「ご意見番」と言う存在が消えていく一つの歴史の流れではなかろうか。マスコミや識者はそれを惜しんでいるようだが、自分の経験の中でしか語れず、古い時代に郷愁を持つことが多いこの手の「ご意見番」は有害無益であり、消えていくのだと思っている。
時代の潮流。必ずしも古き認識に誤りがあるとは思わないけど、それが常に"自分の経験のみによる意見"でしかなかったら、それを敬い奉るのはまた、時代の帰趨を読めない愚かな行為でもある、ということか。
ただ・・・だからと言って、こうした人間関係自体は否定できない。
(意見の)本意はどうなのか分からないけど、佐々氏と故後藤田氏のような意見を越えた師弟関係というのもまた、それぞれを認めているからこそ成り立つものなんだろうな、と。
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