「僕だけがいない街」
でも、アニメの方も大分頑張ってましたね。
#流石に原作ほどの説得力は無いが。
短い尺の中で、どうやって話をまとめきるか?例えば入院中の悟に自ら名乗るオリジナル展開もその為のプロットなんだろうけど、違和感なかったしロジック的にも問題なかった。
#それがある故のあの最後だもんな。
結果、主人公サイドも犯人サイドも原作と同じ結末を辿る事が出来ている。あのアニメ化はやっぱり良く出来てた、と思う。
さりとて・・・原作はやはりその上を行っていた。
キャンプ場での攻防は見事だったし、吊り橋の上での会話も漫画だからこその演出含め諸々に説得力があった。ちょっと残念なのは・・・いや、残念ってことは無いな、違和感あったのは、最終的に犯人の採った選択が悟を巻き添えにした自決でしかなかった、という所かなぁ。
#ちょっと小モノっぽい。
若干・・・あれだけの会話をしたという割には、その選択は「あれ?」という感じがしてしまった。これだったら、悟の行動に無理やり引っ張り出されて結果、反論の余地なく捕まったアニメ版の方が良かった、という可能性もある。
しかし外伝、楽しみですねぇ・・・まぁ連載始まるのはこれからみたいなので、単行本化には時間かかるでしょうが。
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個人的にアニメ版で不満なのは、北村先生がママンカレーに感動してる萌えシーンが無かったことだな(笑
■左翼系ジャーナリスト 「ジャーナリズムの本質は権力を監視すること」 ←在京外国特派員「いや事実を客観的に伝えることだろ」
ま、ゆぅて海外のジャー(ry)も客観的に伝えてる、とは言い切れんと思うがね。
#むしろ日本より酷いこともあるだろうし。
どっちかと言うとそういうスタイルの本家は海外でしょう。だからそういうスタイルである事を前提に視聴者は見る事に長けている、というのもある。
日本の場合で性質が悪いのは、中道で客観的であるという仮面を被っていながら、真意は世論誘導にある、と言う所だ。だから事実すらも歪めて伝えることがある。
そういう立場にあるからこそ、何より・・・本人たちが既に「権力」になってしまっている、という事を気付かない、または気付いてて利用する、という構図になってしまっているんだよなぁ。
■野党、自公のヘイト対策法案に反発「不法滞在者への差別が許されてしまう」
野党は「アイヌ民族や難民申請者、不法滞在者への差別が許されてしまう」と指摘。
いや、不法滞在者が非難される事に何の疑問があるわけ?アホか。
というか、そもそもこの制限以前に、やっぱり
与党案がヘイトスピーチの対象を在日外国人や家族に限定した
これもおかしいんですけどね。「平等性に欠く」でしょ、普通に。なんで外国人に限定するんだか。
で、何より・・・
>国連報告者「ヘイトスピーチは国際法においては定義も条文もないゾ」
このオチである。そもそもこんな法案自体が成り立たないでしょ、という話だ。
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正直・・・「あ・・・うん、、、」っていう出来でした。
#まぁ映像化されたのを他にほとんど持ってないので貴重ではあるんですが。
特に90年代については元々VHSな画質でしか撮ってないだろうし、もっと綺麗にしろとは言わないけど、せめて歌詞字幕無し版は作れなかったのか?というね。あの字幕があるから尚更、過去の録画テープを単にまとめただけ、という疑惑に繋がるわけで。
#こういう、消費者を舐めた商売する所が如何にもビーイングらしいというか。
ただまぁ、そこはもうさ、やっぱ泉水さんの美しさだけでとりあえず+-ゼロにできるくらいカバー出来てるから、それはそれで満足しちゃってたりもするんですけどね。もうジャケットの写真だけでうっとり(笑)するし。
でもなぁ・・・アタマ痛いよ。どうせ来年、没後10年という事で、またくだらない企画立てて故人の評判を貶めるかと思うと。
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