アニメの「みなみけ」、保坂は原作の2割り増しくらいで気持ち悪いな(褒め言葉
タケルは、思えば初登場時はただの哀れな叔父さん(後に、ただの従兄弟だったことが分かる)だったっけか。後々、やや嫌な人物に変わるが(苦笑
何はともあれ、今回のベストはここだった。
原作に無いシーンだったので不安だったけど、思わぬ方向に展開。原作では「おかしなこと」の回でふんどし祭に消された「先生と二宮くん」だったが、まさかこんな使われ方をするとは。つーか、この「先生と~」も「ふんどし祭」もアニメ版ではちょくちょく出てくるなぁ。
シュールネタはある意味この漫画の味の一つなので、一見「みなみけ」と関係なさそうでもこの展開自体はまぁアリか。にしても千秋は強すぎないか?初めてやった格ゲであの見事なコンボは何なんだ(苦笑
あとバイオ風ゲーで二宮君がゾンビに襲われながら明後日の方向にぶっ放しているのはツボだった。あるあるw
きっと、「ケイコに借りた」→「ケイコに買わせた」なんだろうなぁ・・・
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■中学校に押しかけて教師らを足蹴り 生徒の母親(36)逮捕…「遅刻がちの子どもを担任が迎えに来ず、腹が立った」
悪いが自分も三十代なんだわ。頼むから他の三十代の迷惑にならんようにしてくれよ。
#あり得ないだろう、これ。
まぁ・・・これをして一片でも「理解できる」なんて意見が出てくる社会になったら嫌だな、と思いましたとさ。
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帰宅が遅くなると寝るのも遅くなる→仕事中眠くなるの悪循環。まぁ・・・ボーっとしてなければ良いだけなんだけどね。そんな暇無い場合の方が多いしorz
#だから夜遅くまで働いてるんだよな。
年齢考えるとアレですが、、核ゲー強い人ならあの位は普通なんじゃないでしょうか……。
俺、自分が買ってきた核ゲーで、弟に似たような事されたことありますもん。
お、これ繋がりそう→ガシガシガシ→終了
まあ、ウチの弟は某大会で優勝候補筆頭を一人で潰して、アルカディアにリングネームが乗った事があるアレな奴なんですが……。
スレ内に「ゆとりよりもその親が悪い」とありましたけれど、一理ありますね。
そもそも戦後の教育改革時に劣悪な教育内容を齎した為に政府は教科書の改訂を戦前の親に迫られた事実があります。
それ故にゆとり教育が始まる一九七四年頃迄はどんどん課程が濃くなっていったのです。
現在騒がれているゆとり教育が開始されたときいったい何処の人間が反発したでしょう。
みな暗記が悪い詰め込み反対という惹句に逆らえず従容として受け入れたのです。
十八さん>
いや、そういう特殊な人はそうでしょうけど(苦笑
ポンタさん>
スレ内に「ゆとりよりもその親が悪い」とありましたけれど、一理ありますね。
そもそも戦後の教育改革時に劣悪な教育内容を齎した為に政府は教科書の改訂を戦前の親に迫られた事実があります。
それ故にゆとり教育が始まる一九七四年頃迄はどんどん課程が濃くなっていったのです。
現在騒がれているゆとり教育が開始されたときいったい何処の人間が反発したでしょう。
みな暗記が悪い詰め込み反対という惹句に逆らえず従容として受け入れたのです。
当時ガキんちょだったかまだ生まれてなかったであろう自分には、その本当の意味での「ゆとり」が始まった頃の事をよく知らんのですが、少なくとも記憶している限りでは「ゆとり教育云々」が取り沙汰されたのは90年代後半で、それまでの間の教育が果たして内容的にどのくらい薄くなり続けていたのか?ということは要として知れません。
#まぁ・・・所謂「偏差値偏重」とか「詰め込み式」が悪とされた流れは確かにありましたが。
でも、現場はその当時(80年代後半~90年代前半)でも十分その詰め込みや暗記をし続けてたしねぇ。田舎だったから尚更そうした"ゆとり"な流れが伝播してくるのが遅かったのかもしれませんが。
その「現在騒がれているゆとり教育」に反発が少なかった背景には、教育に関する危機感だとかそういうのが実状としてさほど取り沙汰されてなかった、というのがあるのかもしれませんね。
#もしくは、マスコミがそうした危機感を煽る事をサボってたか(笑
インターネットの無い時代ですし、そうしたメディアが動かないことには教育要綱が弱まる事の危険性ってのは実例等々個人で訴えるのはなかなか難しいとは思います。
あとまぁやっぱ・・・80年代後半から90年代にかけてってのはバブル景気もあったことだし、そうした危機感を指摘し難い風潮なんかもあったのかもしれませんねぇ。。。や、当時せいぜい中坊だった自分にはこのくらいの推測しか出来ないですが。
あ、一応自分も「親が悪い」説は同意です。というか、こういう学力に関係ない面についてはむしろ今の教育云々よりも、親の方が影響デカイでしょう。
前も書いたと思うけど、ネラーなんかがよく使う「ゆとり」ってのは、最近の常識ハズレだったり理解に苦しむ行動を取る駄目な若者を総称して言ってるだけで、実際の「ゆとり教育」との因果関係を正確に射たモノではないと思いますよ。
マスコミは二〇〇二年度の改定まで
全く騒ぎませんでした。
二〇〇二年からなぜか方向転換をして、
国を叩くようになったというのは今以って不思議なことです。
当然のことながら、ネットで「ゆとり」が嘲笑されるようになったのもそのころからでしたね。
私は状況を知っていたので当時以前から学力の衰退に関して、書き込みをしていましたが、
あの頃は一向に相手をされませんでした。
思うらくネット人もマスコミが報道しなければ
物を考えはじめないのです。
ちょっとでも本を読んでいれば、いくらでも書いてあることでしたから読書離れというやつは
ここにも影響しています。
ということで、「ゆとり」はいまでは汎通さんのおっしゃるように使う人もいますけれど、
真に受けて「ゆとり世代」を難じている輩もいますよ。
そういうやり取りは何度かしてます。
彼らは自分たちはゆとりでないと思い込みたいがあまりに、必死すぎます。
ですから、ゆとり教育が何時から始まったのか調べずに自己援護に走るのです。
それはつまり「因果関係」すら気づけていないということにもなりますけれど。
不善を隠そうとしないで、知識が足りないと思ったら勉強すればいいだけじゃないですか。
理解に苦しみます。
私なんぞは戦後生まれですが、戦前の教科書に触れる機会がありました。
そこで彼らに全く歯が立たないことを知りました。しかもそれは昭和時代の人達です。
この世代は戦前ではゆとりでした。
それで私は常に痴人世代と自分の代を罵り、せめて子供にだけは学問を教えられるよう誡めてきました。
だから、ゆとり世代も挫けず勉強すればいいんですよ。過ぎたことは仕方がないんですから。
ただ時世は酷い物で、
ともかくみなさんは安気に暮らしていました。
物は溢れていましたから、それで十分だったのでしょう。人間なんて物質に囚われるとろくなことがないですね。
以前から、忠告していた人達はいたのに、
彼らのことは無視して充足していたのですから。言論なんて虚しいというわけも分かります。