雨。
多少の雨ならともかく、豪雨になるとさすがに敵わない。過去1回だけだが、F1がそれで台無しになったこともあったな。とはいえ、再放送が多いので別にどってことない、というオチになることがほとんどだけど。
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■ついに2ch祭りが「週刊新潮」に取り上げられる!!埼玉大生「ミクシィ」軽率告白で「内定取り消し」?という見出し
ありゃりゃ、ついに新潮に。ちなみに、前のエントリの姫井議員の話も横峯のオヤジのも新潮だったらしい。やるジャマイカ。
まぁさっきのは言いすぎた。しかしクルーンはもう少し調整が必要だなぁ・・・足の調子が原因だとは思うけど、それにしても今日の新垣暴投っぷりは凄かった。今年はコントロールの良さが身上だったというのに。
#まぁ解説の平松も、OBだったらもうちょっと知っとけよ、という感じだったが。
#↑ひたすら「クルーンがこんなに崩れるのはオカシイ」って言ってたが・・・
最近のクルーンは、結構ヤバヤバだったからねぇ・・・前回のドラ戦で好投したのを除いては、後半戦、結構危ない。平松は数字(防御率)しか見てなかったんじゃね?
しかし、やっぱ相川だよ相川。打撃もそうなんだけど、ぶっちゃけ、今日のキャッチャが鶴岡だったら、クルーンの投げる球の1/4くらいは後逸しててもおかしくなかった。特に、森野に投げた内角すっぽ抜け。あれをしっかり捕球した相川に思わず拳を握った。
これで少しは上昇の切欠になれば良いんですが・・・次はG、その次は虎・・・なんてこったいorz
水差しが売れてて吹いたww
#誰だ買ったの?w
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『アナタヲユルサナイ』(PSP)は面白そうに思えるんだけど、PSPを縦横変更で操作ということは・・・例の外部出力でやろうとしたら、勿論ディスプレイには横に倒れて表示されるわけでしょうね。う~ん・・・さすがにそれは・・・(^^;
テッサは可愛いなぁ。
新潮にはよく世話になりました。
小説や辞書などは大体、ここで読みました。
創価学会を堂々と叩けるのも新潮ぐらいなもんです。
しかも、今度は漢字辞書を出してくださるということで期待を裏切らない会社です。
それでまあ、毎度のことですが、
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1188563817/の話にはいつも胸が潰れるようです。伊吹氏は英語教育には狐疑であったはずが、定めし等閑に付すことのできないほどに囂囂たる非難を受けたのでしょう、容認派になったようであります。
2chでは「英語より国語を」という声が大分見受けられるようになりました。
民衆からこういった気勢があがるのとは裏腹な教育が始まろうとしている。
といっても2chの人々も色々の意見があるようで其の中に英語容認派も含まれます。
それ以上に気になるのが以前ここでも書きましたが、古典に関してであります。
あの文を汎通さんが御覧になったかは定かではありませんけれど、どうも戦後以来の朽ちた屋台骨から生まれでた教育を受けた人間には母国語を自在に使うことすら難しいということがわかっていないようなのであります。
斯く云う私も満足行く表現を出来たことも、
雅馴な言葉遣いを常にやれたこともありません。併しながらその難しさは小人ながら気づいております。
そうであるからこそ、外国語を英語推進派のように簡単に摑めるものとはつやつや思っていないのです。
御聞きしたいのですが、汎通さんは
この問題についてどうお考えですか。
ポンタさん>
御聞きしたいのですが、汎通さんはこの問題についてどうお考えですか。
人並みというか、そこまで深い考えはありませんよ。
#それこそ、これまで書いてきた程度のものです。
人の親にでもなればもう少し考えるんでしょうけどね。
それでまあ、毎度のことですが、
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1188563817/の話にはいつも胸が潰れるようです。伊吹氏は英語教育には狐疑であったはずが、定めし等閑に付すことのできないほどに囂囂たる非難を受けたのでしょう、容認派になったようであります。
それ以前に「「総合」ってなんだっけ?」と言う感じでした。
#意味不明なものをやるよりは英語の1つでもやっていいかもしれません。
まぁ他の基礎学習が為ればこそなんですが。
それ以上に気になるのが以前ここでも書きましたが、古典に関してであります。
あの文を汎通さんが御覧になったかは定かではありませんけれど、どうも戦後以来の朽ちた屋台骨から生まれでた教育を受けた人間には母国語を自在に使うことすら難しいということがわかっていないようなのであります。
これも以前書いたように・・・正直、「古典」については、所謂「社会」等のかつて(今でも)「将来何の役に立つの?」と言われまくった教科に入ると思われ。最も覚えることの意味を問われるモノに入るでしょうね・・・知識として知っておくのは良いと思うんですが。
個人的には、学術的にその古典学習が昨今の「日本語」の崩れを止めるに役立つかどうか?よく分かってません。自分はどっちかと言うと「国語」派ですね(笑
昔、この話を兄として喧嘩になったことがあります。
兄は理系でした。私は文系です。
兄の求める教育は「馬鹿には教育をしても無駄だから、算数であれば四則計算だけをずっと教えていればよい。国語であれば少しの言葉と絵本ぐらいの文章を読ませればよい。」というものでした。
私は「教育において子供たちのヤル気や感動を与えるためには其の分野の最高水準のものをあたえなければならない。算数であれば四則計算だけでなく応用問題を。国語であれば歴史によって認められてきた古典、漢文の
一等水準を。」
兄は本人のヤル気は自己から出るものであり、他人からの感化などは考えずに自己責任だと言い張りました。
私にはどうしてもそれが納得できませんでした。
最終的には当人の問題だろうが、教える側が
そのヤル気を引き出せるような教育を考えないでいいのか。人が感動するのは至高といわれるものに多いはず、それなら馬鹿であろうが等しく高水準に触れさせるべきだと。
それで落ちぶれる人が出るなら已むなし。
けれどもこちらが適当に教材を選び、数年たてば消えてしまうような軽薄な内容を子供に教示(あるいは教授といってもいいかもしれません)するということは余りにも允可できませんでした。
まあ、なんだかんだいっても、上にいる人が決めることですからね、下が何をいっても無駄なんでしょうけれど。
追記になりますけれど、この話は結局のところ有用であるか無用であるかに尽きてしまうのでしょう。
ところが私には人間にとって何が大事であるかは物騒なくちざまですが、絶対に分からないと思います。
小学校一年生から将来の青写真を完璧に描くことの出来る人がどれだけいるというのでしょう。
そして少し経ち、自分が当時思い描いた人物になれるかといえば違うでしょう。
みな大人になってから悔顧しますが、
それを少年時に受けた教育のせいにしているだけではないでしょうか。
『荘子』という書物で恵氏が「お前の話は役に立たない」といいます。
此処で荘子は、人が今立っている地面以外が全てなかったとする、今の人間は困らないが後のお前はどうするんだ、というのですが、
私はここまで古典が無用の位置に属すと申したいのではありません、ただ物事の有用無用は事ほど然様に断定できるものではないと
いいたいのです。