しかし、生徒が注意を受けた後また走り出したため、平手で頭をそれぞれ1回
たたいたということです。
職場でバナジウム天然水モニタに噴くところだったじゃねーか、どうしてくれる?w
#んな簡単に怪我するわけね~
それで怪我したら最早人じゃねーだろう。
かつて過剰な体罰からそれを受けた生徒の心身への障害が起きてしまう場合や、さらに生徒同士のイジメなどへ繋がってしまった等の例があったのは確かだと思うんですが、それにしてもこの過保護っぷり。叩かれることを知らずに体だけデカくなったガキが、数年後社会に解き放たれると思うと怖気がします。
#そら教師も親身になってやれなくなるよな。
「悪い」ことを「悪い」と指摘しても言う事を聞かない、その上で体に覚えこませる事に何の問題があるんだか。言う事を聞かない馬鹿相手に、親身になって教えてやれる人間なんて居ない・・・>>184の言うとおりで、これじゃあたとえ生徒同士でイジメが起きても、関わらない方がマシ、ってなるよね、当然。
20年前、小学生の頃にマスコットバットでケツバットされるわ頭小突かれるわされた自分からしてみたら、この過保護っぷりはあり得ないわ。
でも、一緒にそういう教育受けた同級生が、今教師になって「体罰だけは駄目だ」って言ってるのを見ると、この"社会問題"は相当根が深いんだろうなぁ、と思う。子供は話せば分かるなんてファンタジーを何処まで浸透させてんだか。
体罰が問題提起されて社会的な批判が集まった時、体罰そのものを否定するのではなくて、「正しい体罰のし方」を教師に教える様にすればよかったのにね・・・まぁソレはソレでナニカチガウのは分かるが。
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今日は久々にえらく仕事をした気がする。いや、別に普段サボってるわけじゃないんだが、この歳・立場になるとなかなか実作業ベースの仕事が出来ない。大体、グループの面倒を見る、ミーティングに出る、レビューするのサイクルが延々・・・総時間の2~3割程度しかPC向かって調査したり仕様書作ったりとか出来ないですしねぇ。
で、今日はそういう仕事が割とやれたから満足感がある、と。まぁ単に人取られてしもて自分でやるしかなくなっただけなんですけどね(--;
#とはいえ、、、それもまだマシな話。
どっちかと言うと、彼是2年くらいまともにプログラムを組んでいない事の方が不安を覚える(苦笑
ソースレビューに出たりするから、見てないわけじゃないんだけど・・・どうもこう、自力で書ける気がしない。多分今、情報処理試験とか受けたら確実に落ちる自信ありますよorz
>一緒にそういう教育受けた同級生が、今教>師になって「体罰だけは駄目だ」って言ってる>のを見ると、この"社会問題"は相当根が深>>いんだろうなぁ、と思う。
やはり体罰を受けたほうの身としては嫌な思いだったんですかな。
ただ社会の風潮として体罰が盛んに非難された時期がありましたね。
ああいうのは失礼ながら、疑いを持たない人間の頭にはスッと入ってきてしっかり根付くものですから、当時、そういった特集を見た人は
体罰悪しという思想を植え込まれてしまったんでしょうな。
うちの父親は正に世論を体現したような人間でして、マスコミがのいったことは疑団なく信じ込みます。ネットがない時代にかような論は
世論となっていったのでしょう。
現在が少子化だというのなら、子育てをしたことのない人間がいさらいさらに増えて、もうどういった教育をすれば真っ当な人が育つのかわからなくなっていくでしょうな。
そのときがこの国の畢るときでしょうが。
然し乍ら民主主義というのはどんどん無謀な制度だと思えてきますな。
人道主義に基いて育てられた人々がこの主義を巧く使いこなせるとは思えません。
人が無謬性の生物であると考えている人達は殆どいないでしょうが、多数が少数を蔑にする思潮を生み出すことは確かです。
私が青年期に考えたことはこの民主主義を尊び則っとるのならば智恵ある国民にならなければいけないということでした。
その為には広汎な智識をもち、叡智な人物に学び己を錬磨することが肝要だと思っていました。
けれど、世の中に出てみればそんなことを志す人はかつふつなく、私自身も棒ほど願って針ほど叶うという言葉どおりの少しの能力しか定着しませんでした。
そうすると、こんな人間が一人前に国について語って良いのか消沈せざるを得ません。
汎通さんの御友達も教育関連の本を渉猟したわけではないでしょう。
ですが、一人の意見として扱わなければならない。これって、何なんですかね。
私にとっては人道的な民主主義が巨大なファンタジーで、そこに存在する人達が空想染みたことをいうのも已むを得なく思えます。
ポンタさん>
>一緒にそういう教育受けた同級生が、今教師になって「体罰だけは駄目だ」って言ってるのを見ると、この"社会問題"は相当根が深いんだろうなぁ、と思う。
やはり体罰を受けたほうの身としては嫌な思いだったんですかな。
いや、そういうこっちゃ無いと思うんですよ。ソイツは明らかにその恩師の影響を色濃く受け継いでる奴なんで。
以前も別エントリで書いたけど、その当時、そうした体罰に対する批判は生徒からも保護者からも一切ありませんでしたしね。むしろ「叩いてくれ」と言わんばかりの信頼度でしたから。そもそも「体罰」の語感の悪さから、誰もソレを「体罰」とは言っていなかったし。
で、そういう教育を受けた奴ですら「体罰NO」って言わざるを得ないわけだから・・・と。
ただ社会の風潮として体罰が盛んに非難された時期がありましたね。
というわけで、個人的にはそういう時期に関する意識が余り無かったりします。
#気が付いたら何時の間にか体罰がこんだけ忌避される世間になっていた、と。
やっぱ90年代中~後半くらいでしょうかねぇ・・・少なくとも自分が小、中学生の頃はそういう風潮は(無かった、とは言わないけど)感じられませんでしたし。
#教師が生徒に手を上げる事に何ら疑問は無かったしな。
90年代中~後半は自分が高校~大学だった頃なので、風潮の変化には気付けなかったであろう時期です。当然ネットも無かった、もしくは貧弱でしたしね。この辺りに何が起こったのか?ソレを探るのもまた面白いか。
現在が少子化だというのなら、子育てをしたことのない人間がいさらいさらに増えて、もうどういった教育をすれば真っ当な人が育つのかわからなくなっていくでしょうな。
そのときがこの国の畢るときでしょうが。
こういう記事を見ると、教育の現場はもう取り返しの付かない所まで来てしまっているんだな、と実感します。
そうすると、こんな人間が一人前に国について語って良いのか消沈せざるを得ません。
現実に意気消沈することはあっても、その意識は無駄にはならないと思うので、ソレはソレで別にいいのではないか?と思いますけどね。
私にとっては人道的な民主主義が巨大なファンタジーで、そこに存在する人達が空想染みたことをいうのも已むを得なく思えます。
理想と現実のハザマっていうアレでしょうかねぇ・・・人道を突き詰めていくと、現実とかけ離れていくだけなのに、その間隔が認識できなくなっていく、というか。