自分はこういうのを学んだ経験が乏しいので、某氏に言われて初めて「そういう過去があったんだなぁ」などと合点がいった記憶があります。
「人権」という麗句の本質を捉えられないと、人はこうにも醜くなってしまうのか?と。
■心にナイフをしのばせて 奥野 修司
以下抜粋。
一九六九年春、川崎にある男子高校で、一年生が同級生に殺されるという事件が発生した。被害者はめった刺しにされた上、首を切断されていた。神戸で「酒鬼薔薇」事件が起こる、二十八年前のことだ。本書は、犯人の少年Aのその後と、被害者遺族を襲った悲劇を丹念に追った、渾身のルポルタージュである。
実は冒頭に書いたような「問題」についての記述は少ない。少年Aが犯罪者でありながらどのように"人"としての"人権"を尊重され、再教育され、そして援助の下(書きたくないが)努力して「弁護士」として大成したか?というところは、ほとんど書かれていない。彼についての記述自体もこの本の1/10程度である。
でもそれもそのはず・・・このライターも、少年法、人権の為に足跡を追うことが困難だったわけだからね。
「人権」とは何か?「更正」とは何か?を考えることが出来る本。
ほとんどの部分が被害者家族の「その後」に終始しているし、ともすれば「それは事件に関係なく、その人の個性でしかないだろう」というところも描かれている。それでも、、、終盤に描かれている、少年Aが謝罪すらせずにのうのうと"弁護士"として生きていることや、しかも被害者の方から接触された時の対応の様が酷かったことには誰もが衝撃を感じるだろう。
#著者の言う「更正」をしているとは到底思えない。
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かつて加害者に猛烈な社会的な制裁が行われたことがあって、その為に「加害者の人権」というのが重視されるようになった、と聞いている。
そろそろそういう所のバランス的に「被害者」の方にも揺り戻されても良くないかね?この現状(一応、近年では少年法の改正によって若干、ホントに僅かに良くはなった)を知るに、「被害者及び家族の人権って何なんだろうな?」とホントに疑問を覚えます。
心に闇なんてあるのかね?
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