考えられるゲームを

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実は今、通勤時にこういう本を読んでいるわけですが、、、
#まぁ、内容は押して図るべし。
いろいろ・・・宮崎哲弥氏の森前首相へのインタビューは面白かったし、他にも"そういう"話ばかりでお腹いっぱいです(爆

まそれはともかく・・・

その中にあったのがこういうテーマ。
「起死回生のカギはエリート教育にあり」
「子供の個性」は踏みにじれという左巻きが聞いたら悶絶しそうな文句(w)から始まっているわけですが、まぁなかなか面白いです。自分も割りと同意な部分が多い。特に「平等が不平等を生んだ」とかは至言でしょうかね。もう全くその通りとしか言いようが無いわけで・・・ま、自分にしてみれば20年も前の話、今騒がれているようなクソミソの教育環境に遭遇しなかっただけでもシアワセでした。
#教育の場は「上下関係の場」ですやね。
だからこそ、「教える側と教えられる側」が存在する。そこに平等なんて無い・・平等じゃあ教えている方の内容を教えられる方が信用なんて出来るものか、と。

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さて、但しこのテの保守系誌などで割と多いのが、TVと並んでTVゲームの批判。このテーマでもとりあえず「悪影響のサンプル」として取り上げられています。
私は文化には能動態の文化と受動態の文化があると思うんです。いま、隆盛を極めているのはテレビやゲームなど、どれも受動態の文化ですね。これはとにかく楽なんです。
しかし、やはり受身の文化からは何も生まれてきません。読書は自分で本を選び、一行一行目でおって、その意味を自分なりに考えなくてはならない。自分から能動的に本と関わっていないと、楽しめない文化なんです。

もう自分の言わんとするところが分かった人もいるかと思いますが(^^;

実際、半分アタリで半分はハズレだと思います。
まず、半分ハズレってのは、特に2段落目の文章・・・ゲームを「受身」としてしか見られないこと自体も間違いだと思うし、そもそも「自分から楽しもうと思わないとどんなゲームだって面白くない」だろ?と。そこは本もゲームも変わらない。
例えば
一行一行目でおって、その意味を自分なりに考えなくてはならない。
この部分なんかは、以前某氏が口癖のように言っていた(笑)所謂「プレイヤーの経験則に則って考えられる」内容であることに感銘を受け易かったり、それこそがゲームとして高く評価されたりする。自分なりに考えられるゲーム、ってのは割りと多い。
#まぁ物語に終始するADVに偏ってソレが多いのは事実だけど。
でも例えば最近の例で行くとRPG、『テイルズオブジアビス』。あそこまでどん底に堕ちて仲間の信頼も失って・・・そこから這い上がっていく様を描ききれたからこそ、正当に評価する人にはその評判も良いってのがある。これも、プレイヤーがそれを理解し考え得るだけの内容があってこそ。
#逆に『グランディア3』みたいなのからは何も生まれない(死
例えばそういった物語的な観点だけではない。もっと原始的な「学び」もある。任天堂のアクションゲームにそういった観点からくる人気が高いのもひとつの特徴だろう。たまたまだ、「ゲームセンターCX」でディスクシステム『メトロイド』の攻略を見てたんだけど、そこであったのが、有野がどうしても高すぎてジャンプが届かない位置に、爆弾の爆風で一旦浮き上がってからジャンプして到達する、というものだった。ちょっとした切欠やそれまでの経験から「こうすれば進めるんじゃないか?」とかを考えられるからこそ面白い。ゲームってのはそういうものが多い。

逆に、半分アタリだよな、と思ったのは、殊、最近のゲームは確かに「楽」であるが故に受動的にさせられてしまう傾向が強い、ということ。何から何までアシストされて、とにかく「見せられながら」終わっていく。表現力が増したことでそういうのが増えてきたこともまた事実だろうな、と。で、たまに「激ムズ!」と評されるゲームがあったとしても、それは学習も情報も与えられず単に攻略の糸口が見つからないだけ、とか。
#結果、攻略本、攻略サイトが(ry
(この辺に出版社とゲームメーカの癒着が云々というのもあるけど・・・そこはまた別の話)
別に全てのゲームがソコを目指す必要はない(同じ「遊ぶ」「楽しむ」にしても、用途は色々あっていいと思う)けれど、もう少しそういうところを意識してゲームを作って欲しいというのはありますね。これはゲーマーの自分としても「受動の文化」と言い切られて悔しい部分。ゲーマー故にそれが事実だとも実感できる。

まぁこの辺は・・・悪循環というか相乗効果というか。そういうのもあるんですけどね。例えば今時の子供は前述のような環境に育てられるが故に、我慢、努力を自発的に行えない。なので"そういう子供にウケる"ゲームが流行る。だから(ry
#この場合、卵と鶏、どっちがどっちだろうか。
前から言ってるけど、自分らの世代はある意味ゲームの劇的な進歩と共に育ってこれたから幸せだった。最初の不便だった時代、なんでも自分で考えないといけない時代から関わってこれたから、今のゲームでも面白さを見つける能動的な関わり方が出来る。たとえ時間が無くて「楽なゲームがいいなぁ~」などとボヤいていたとしても、それでも楽しみ方を知っている。
でも、今の子供たちはどうだろう?
まぁ、ひょっとしたら、今の子供たちも今の世代なりにそうした関わり方を学んでいけているのかもしれない。先に書いた「何もゲームが全て受動ではない。要は関わり方である」というところにカギはあると思うし。というか、そういう所からも学べるくらいに貪欲に成る事も必要だろうし。

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思わぬ長文になってしまった。
これはなんだろう・・・以前、櫻井よしこ氏の本を読んだ時にも似たような批判が書いてあったから、反論したくなったのかもしれんな(^^;
必ずしもそうじゃないけど、自分からみればこうした新しいメディアの活用などを考えられない(槍玉に挙げる)層ってのも、なるほど「保守」といわれるだけあるな、と納得もしてみたりする。

コメント(2)

保守は戦略がありませんからね。
よく日本政府のことをそれで批難しますが、
全く教科書を売る事もできず、おまけに内紛を起こして失態をさらし続ける人たちが大勢いて何をかいわんやです。
調子がよかったのに、ここ数ヶ月で保守は余喘を保つのが限界です。停頓しています。
まあここ最近の出来事を見ていると地金が取れたということもかもしれません。
実力者はいてもその中の大半は桂馬の高上がりに過ぎなかったということかも。
尾羽打ち枯らす、なんてことにはなって欲しくはありませんが。

仮に私が権力をもっていたのなら、
どこかのゲーム会社に日本の歴史・伝統を知る事のできるゲームをつくってくれるよう努力するでしょう。
けれど、この人たちにはそんな案は何処にもありません。
相変わらず本という媒体だけで訴える。
本がもう読まれなくなっていることに危惧をしているのにもかかわらず、子供らが熱心になっている物事へ入り込んで、展開しようとしない。
相変わらず非効率的な遣り方で憂国の士といわんばかりに紙上で空しく吠える。主力媒体ではなくなった本で伝えられる事は少ししかない。
それなのに、自分は何かをした気になって、いつまでも醒覚しない日本人を仮借なく叱り付ける。
どんなに良いことを言おうが、相手に伝わらなければ烏有に帰すのは当然です。

若者を刺激したいのであればゲームを利用するのが好いでしょうに。
何故、そんな事も皆式考えられないのか。
考えられないから逆にむやみやたらな批難に陥る。そして若者を敵に回して結局は御陀仏となってしまう。
だから常々、広範囲に自分達の思想を瀰漫させようとする左翼に、機先を制せられ後手に回らざるを得なくなるのです。

この度、
PSからwiiへ旅たつ事にしました。

私のように魅力を覚えなくなったら臨機応変に対処すればいいのに(w


ポンタさん>

全く教科書を売る事もできず、おまけに内紛を起こして失態をさらし続ける人たちが大勢いて何をかいわんやです。
この顛末についても書かれてました。
何が痛いってここに付込まれて左翼から言われの無い中傷を受けているところでしょうかね・・・いや、言われが無いから中傷なのか(苦笑
志が必ずしも間違っているわけではないのに、主義主張だけで手段を持たないから衝突が起こる。傍目にはどっちもどっちか。

仮に私が権力をもっていたのなら、どこかのゲーム会社に日本の歴史・伝統を知る事のできるゲームをつくってくれるよう努力するでしょう。
かの『脳トレ』教授は、かつてゲームが脳に好影響を与える可能性を探して調査したとか。
#どっかの馬鹿教授みたいに調査機宣伝をするんじゃなく(ぉ
しかし予想に反してそういう結果は得られなかった。でもだからと言って、ゲームに『脳トレ』を出す事に躊躇は無かった・・・活用できる手段は使えば良い、それだけのことなのかもしれません。

相変わらず本という媒体だけで訴える。
本がもう読まれなくなっていることに危惧をしているのにもかかわらず、子供らが熱心になっている物事へ入り込んで、展開しようとしない。

本を読むことが大切だというのはわかるし、自分も割とその辺は心掛けている(何せ昔は読書ばかりしていた)方ではあるけど、この人たちの主張はその本を飛び出せない。だから本を読まない人には伝わらない。意味の無い主張ばかりですね。

どんなに良いことを言おうが、相手に伝わらなければ烏有に帰すのは当然です。
本を常に善として、ゲームは愚かTVも含め全て「娯楽でしかない」と言う捉え方なのかもしれませんね。で、今現在においてはインターネットと言う媒体も当然同類なんでしょう。

だから常々、広範囲に自分達の思想を瀰漫させようとする左翼に、機先を制せられ後手に回らざるを得なくなるのです。
全くその通りですね。手段を全く講じない、言っていれば伝わると信じるだけ・・・日頃アレだけ「外交では日本の常識だけでは通じない」と言ってる割には、自らは同じことをしている、ということに気が付かないのかな?

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この度、PSからwiiへ旅たつ事にしました。
私のように魅力を覚えなくなったら臨機応変に対処すればいいのに(w

まぁ趣味の世界は「愛着」ってのもあるでしょうし、人それぞれかもしれませんけどね。

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この記事について

このページは、汎通が2006年5月16日 01:15に書いた記事です。

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