2007年03月30日の更新

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ゲーマー日記
 『雨格子の館』プレイ中記



んー・・・


((『慟哭』-エロ分)+『MISSING PARTS』)/2*0.8

・・・とか。そんな感じ。普通に佳作クラス(中の上~)なんだけど、過去に『MP』という傑作があったからこそ、どうしても比較してしまうなぁ。システムのミックスで物語のバランス(プレイヤーとのシンクロ)を崩してしまった、というのは『てんたま』と同じパターン。
今の段階で言えるのは、素直に『MP』のスタイルで出しておけば・・・だな。禁句だが。

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教育再生会議 「道徳」を正式教科に

微妙な話題。
あまり細かく知らないので多分に勘違いもあるかもしれないけど、個人的に思うには、やはり「道徳」を評価する対象にしてしまうのは危険。まともに評価できる教師が居るのかどうか?も問題だし、そういう部分の評価によって人間関係に軋轢も生じやすくなるだろうと思う。
ただ、教育現場の苦悩も分かるけどな・・・これは、政府による今回の決定によるものではなくて、そもそも子供が言うことを聞かないことによる苦悩の事ね。ダメな教師も増えてきてるんだろうけど、まともな教師も勿論居るだろう。で、そういう教師にしてみれば、"躾"のなっていない子供たちに勉学を教えることは一筋縄ではない。
自分は人の親になっていないので言えたことでは無いかもしれないけど、前々から言っている通り、やはり根本的な問題は躾、道徳の出来ていない親になるんだろうと思う。

意識の持ち方、持たせ方っていうかね・・・少し話は逸れるけど(道徳っていうか躾の話)、例えば自分は一昔前に流行った「友達感覚の親子」というのに虫唾が走るタイプでして(苦笑
#親は親、子は子だろう。
基本的に子は親に絶対服従、何でも言える関係を持つのは大切なことだけど、それはある程度人格的にも育ってきてからの話。基本、例えば小学生くらまでは子供は社会生活を送るには不十分な存在なんだから、親の庇護(=親の管理下)にあるのは当然。たまに「子供」を指して「まだ人間ではない」って人もいるけど、左巻人権馬鹿のヒステリックな反応はともかく言い方はキツイが意味的には間違っていない、と思う。
逆に言うと、そうした親と子の絶対的な関係を持つ、ということは親にとっても1つのプレッシャーとなって、「親としての」成長を促される要因にもなると思う。
つまり、こういう意識感覚を小さい頃から持たせることで、上下関係を理解し、親、または教師の言うことを理解する努力が出来るようになっていくわけで・・・その辺が欠如しているから、親にしても子にしてもお互いに成長できない。
まぁケースバイケースだけどな。以前、「子供の目線で」とか言って、教室の教壇の台を取り払うことが評価されてる、なんて話題があったけど、個人的には「馬鹿じゃねぇの?」の一言で済むような愚行だった(苦笑
#そもそも、上から教えてくれるからこそ子供も受取る気になるんだろうに。
同じ位置から話したら、余計聞かないだろう。
以前痛いニュースであったコレなんかも面白いよなぁ・・・「同じ人間なのに、何故生徒と先生で違うの?」という疑問。これは誰もが成長期に一時的に持つ疑問なので、この疑問自体は悪くない。ただ、この疑問に答えてくれる人間が自分と同じ位置にいると理解していた場合、その答え(考え)を受け入れられるか如何か?立場や上下関係を理解できるか?だよなぁ。

言うまでも無いけど、その親、教師がまともな人間であることが前提。つまり、今の現状というのはそこが崩れているから言うことを聞かない、教師と生徒が対等な立場だと勘違いする馬鹿な子供(不幸な子供)が出てくる、というこったよな・・・
それを、今回のやり方だと「学校(教師)」に一任してしまったことになる・・・元々教師の質は落ちているかもしれないし、更に負担も強いることになる。まずは根源を断つ方向に持って行かなければならないハズなんだろうけどね。でも個人の生活に介入なんて出来る筈も無いしなぁ・・・難しいね、この歪みを直すのは。

コメント(3)

思想統制の恐れありといわれたりしますけれど、近時の話を聞くとそういう悠長なこともいってられないと考えます。
上意下達で以って森厳なる徳育をしなければならない程に感覚が腐ってしまった以上は一旦、強制しなければならないんじゃないかと。

本来なら親が子供に教えて済む問題なんでしょうが、上の世代に期待できない時代ですからね。
子供を聖人君子の雛形に嵌めて一からやり直すという方法しかない。

まあ、教師の学力も低いんでしょうね。
戦前の先生なんかは勉強好きな人ばかりだった。
一家言を持った人に子供らは惹かれたんでしょう。
やはり教養というか、真個の学を修めてきた人には自然ひれ伏すようになりますよ、人間は。
そういう人をみて、振起し、感化せられて
真面目になると思いますがね。
同じく、教壇撤去を愚とみた人間としては。

私の父親は怒ると鉄拳制裁上等どころか
子供の頭を掴んでそのまま壁に叩き付けるくらいのことを平気でやる人です。
学生時代は柔道やってて今でも登山が趣味でつい先日も九州百山制覇まで
あと3つ、この間は一日で山を三つハシゴしてきたなどとアホな事を言い、
入院したと思ったら痔の摘出という健康優良過ぎ親父です。
体格、体力でいえば今でも二人の息子以上な人が当時幼かった私たちに手加減無しで暴力を振るっていたため、
こちらとしてはなす術がありません。
もう反撃どころではないのです。
でもだからこそ絶対的な父性として君臨していました。
今では明らかにやり過ぎだったとかなり後悔しているようですが、
私たち兄弟にとってまず尊敬する人間と言えば今なお父なのですね。
そんな友達目線とか対等な立場とかとんでもないですよ。
そんなのあり得ません。

私はそういう意味で幸運といえます。
しかしですね、子は親を映す鏡というのは事実でして、今の親が馬鹿だというなら
そんな親を育てたその親にこそ本質的な問題があると思いますよ。
うちですら子供が起きる時間には出勤していて、寝た後に帰宅して来るようなことが当たり前でしたから、
父性を発揮すべき機会の不足する家庭がかなり多かったのだと思います。

そういった健全な家庭の姿ってのを考えると
今席巻してる極端なフェミニズム思想ってんはやっぱ害悪としか言いようがありません。

教師は……一度は教師を目指した私としては
その力、出来ることには限界があると言わざるを得なく。

ポンタさん>

思想統制の恐れありといわれたりしますけれど、近時の話を聞くとそういう悠長なこともいってられないと考えます。
如何せん、人の親じゃないからどうしても伝聞による印象でしか図れない自分がいるのですが(--;;
#まぁでも・・・やっぱそのくらい酷いんだろうなぁ。
しかしモノの良し悪しってのは理屈だけじゃ語れないですからねぇ。「道徳」をそうした形で伝えようとした場合、どのようにして評価等するのか?強制的に、といっても"身に付かせる"ってのはかなり継続的にやらないとダメでしょうし。。。難しいです。

やはり教養というか、真個の学を修めてきた人には自然ひれ伏すようになりますよ、人間は。
そういう人をみて、振起し、感化せられて真面目になると思いますがね。

学問に限らず、基本的に"先駆者"というのは優れた人間であって、続く人間はその人の能力だけでなく"先を進んだ"という点に惹かれて後を追う、というのもあると思いまして。
#親(大人)ってのはそういう意味でも常に子の手本たれ、というわけで。
会社の人間関係も同じですからね。ダメな人間が上に居ると、その下の人間もなかなか育たない。上の人間の姿を見て、下の人間も続くもの、というのは自然の摂理ですね。

同じく、教壇撤去を愚とみた人間としては。
子供にせよ犯罪者にせよ被差別者にせよ・・・「平等」を食い物にする連中によって、逆に不平等を生み出されているようにしか見えません。


宮上さん>

子供の頭を掴んでそのまま壁に叩き付けるくらいのことを平気でやる人です。
今の世なら確実に児童虐待で終わりですね(^^;

学生時代は柔道やってて今でも登山が趣味でつい先日も九州百山制覇まであと3つ、この間は一日で山を三つハシゴしてきたなどとアホな事を言い、入院したと思ったら痔の摘出という健康優良過ぎ親父です。
うちの親父も55越えて走り続ける元気な親父ですが、さすがにそこまでは無いなぁ(苦笑

もう反撃どころではないのです。
でもだからこそ絶対的な父性として君臨していました。

ただの暴力なら、当然そうはならなかったのでしょうね。
#半ばそれが混じってたのかもしれませんが(ぉ
でも、
私たち兄弟にとってまず尊敬する人間と言えば今なお父なのですね。
こうなっている、ということは、やはりその躾は正しかったのだろう、と。

そんな友達目線とか対等な立場とかとんでもないですよ。
同義的にも物理的にも論理的にも全てにおいて対等なわけが無い、と思います。親と子は。平等主義もここまでくると呆れます。

しかしですね、子は親を映す鏡というのは事実でして、今の親が馬鹿だというならそんな親を育てたその親にこそ本質的な問題があると思いますよ。
うちは共働きでしたが、とりあえず両親とも18:00には帰ってくるような家庭でした。
まぁ・・・休日だとかそういう時に触れ合うしかないでしょうけどね。

そういった健全な家庭の姿ってのを考えると今席巻してる極端なフェミニズム思想ってんはやっぱ害悪としか言いようがありません。
雇用機会均等とかはまだいいとして(それでも勘違いした批判があったりするが)、基本的に「男憎し」しかないフェミ運動家もいますしね。家庭のことなんてどうでもいいんでしょう。

教師は……一度は教師を目指した私としては、その力、出来ることには限界があると言わざるを得なく。
同じく、自分も学生の時分にその道を考えた事がありましたが、高校教師の叔母の話を聞くにやれそうに無いと判断した事があります。

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この記事について

このページは、汎通が2007年3月30日 20:53に書いた記事です。

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