「上手な“聞き方”“話し方”の技術」(ダイヤモンド社)などの著書がある話し方研究所の福田健会長は「同一表現がこれだけ多いとは…」と驚く。福田氏は「首相の重責に『しっかりしないといけない』との思いから『しっかりと』という力強い表現を無意識に多用しているのではないか」と指摘。「文末で『思います』『まいります』を繰り返すのは、弱さや自信のなさの表れ」という。
ていうか、、、この人の場合は元々こういう話し方(丁寧であまり断定的に言わない)だったようにも思えるけど。ソレを一概に「自信が無い」と言うのはどーか?と。
ただ、安倍首相の発言は自分もちと引っかかるところがある。
■「美しい日本語話せないのに、外国語やっても仕方ない」「小学英語、必修不要」…伊吹文科相
言ってる事は尤もで、まぁスレ内にもあるように「爺さんの一般的な考え方でしかないんじゃない?」ってのもある。
#別に、国語を削らないのなら英語をやってもいいだろうと思うし。
#(まぁ文法とか、、、そういうのは確かに国語を先に知っておくべき
# 部分かもだけど)
ただ、どうも引っかかるのが「美しい~」。
伊吹文科相が意識して言ったのかどうかはわからないけど、首相が口癖のように言うコレが、あまりにしつこいもんだから逆に胡散臭く感じるようになってしまっているのは確か。
#所謂「具体的にはどうするんですか?」ってのとは違う。
「とくダネ」でオヅラが珍しく良い事言ってたけど、そもそも「美しい云々」は具体的に表現できるモノではないだろう。喩え言ったとしてもそれがイコールとして結びつくのではなく、せいぜい「~の内の1つ」に過ぎない。だから目指す方向性としてソレを持つ、アピールするのはまぁ良いんでないか?と思う。
#それに、具体的に何すんの?ということであれば、例の著書「美しい国へ」に書いてある。
これね、、、ある意味安倍さんは、靖国参拝と同じで「はっきり言わないことで煩いマスコミの反応を避けようとしている」んじゃないかな?って思うんですよ。
#やろうとしている内容は左巻きマスコミの反発を受けるのは間違いないし。
ただ、現状は失敗してるけどな。具体的に言わない事を逆に欠点として挙げつらわれてしまっている。
それに、小泉さんが「自民党をぶっ壊す!」「郵政民営化!」と所謂ワンフレーズで大衆にインパクトを与えたことを踏襲したい、という意味合いもあるのかな?と思うんだけど、こちらもまた失敗してないかなぁ?という気がする。小泉さんのそれは分かり易いからこそ支持を得られたけど、「美しい~」は"何か良い方向に感じる"けれど"はっきりとしたものが見えない"から、コレばかりひたすら言われ続けると胡散臭く感じる。
例えば悪意を以って曲解したい人にしてみれば、これは「宗教的な刷り込み」という風にも出来るだろうし、傍から見ててもそういう雰囲気がある。で、往々にしてそういうものは印象が悪い。
ちょっとね、、、そろそろ言葉だけで進める策から次の段階に移って欲しい。
いや、まぁまだ始まったばかりなんだけどね。
確かに「美しい」と云う言葉は美辞麗句のお手本のようなもので、ハイルヒットラーのようなものを惹起させます。
安部はヒットラーみたいだという非難がありますけれど。
日本の指導者で此処まで日本と言う国を主張するというのは此処最近では珍しいですね。
これはこれで有っても好い態度かもしれないと思います。我々はこういった首相に今までめぐり合うことがなかったので、一種の拒否反応というか倦んでしまうのかもしれません。
輿望を擔って誕生した総理ですから、もう少し
期待して待つとしましょう。
とはいっても、少し怖いところはあるんです。
英語ですが、国語を削らないとすると他の科目が削減対象にのぼってしまうんですよね、英語は他の科目が出来ているから利用する価値が出てくるので、これだと本末転倒になってしまいます。
ただたんに外人と喋らせる為なら必要はないわけで、国家戰略として役立てる志向が存在しないなら無用の長物なのです。
一つ意味があるなら、ゲーテのいう
「外国語を知らぬものは母国語を知らぬ」という鏡として母語を反射し、隠れていた部分を
みせてくれるところです。
和訳の演習がそれを最も痛感させてくれます。
教育の仕方も難しいですねえ。
会話重視なのか読解重視なのか。
後者だと文法は絶対に御座なりに出来ません。
現在だと会話教育一辺倒になってしまい、読解が危殆に瀕しております。
そろそろ方針を鳩首会談でも開いて、螺子を巻いて、決定して貰わないと困ります。
選択式が妥当かなと。
動機の問題もあります。
会話が出来たとしても、誰と喋るのか。
小学校から習っておいて、外人とかつふつ話す機會がないと不満でしょうし、
気力も減退していくでしょうなあ。
読解だと原書、対訳本とありますから
持続可能なんですが。
ただ、どちらにせよ小学校で文法は理解できないでしょう。
英語であっても、日本語であっても文法のようなものは子供の時分には理解しにくい。
母国語であれば、文法を教えずとも文を暗誦させることですみますが、英語でそれなしだとただに丸暗記に過ぎなくなってしまいます。
こうなると苦痛でしかありませんし、応用も利かない。
結局、小学校では限界が見え隠れしますねえ。
ポンタさん>
安部はヒットラーみたいだという非難がありますけれど。
んでもその非難は概ね"やってること"に対する偏見で言ってるだけだからなぁ。ソレと今回の言動のパターンとはさすがに関係させてはいけないかも。
輿望を擔って誕生した総理ですから、もう少し期待して待つとしましょう。
まぁそうなんですけど、、、如何せん、人選がまず過ぎた気がしなくも無い。やってることは小泉さんも似たようなもんだったけど、安倍さんは批判をまともに受けてかわす事をしないように思えるんだよなぁ。クソ真面目っぽいから。
#適当にあしらえ無い感じ。
ただたんに外人と喋らせる為なら必要はないわけで、国家戰略として役立てる志向が存在しないなら無用の長物なのです。
一つ意味があるなら、ゲーテのいう「外国語を知らぬものは母国語を知らぬ」という鏡として母語を反射し、隠れていた部分をみせてくれるところです。
和訳の演習がそれを最も痛感させてくれます。
あ~その言葉はホントに分かりますね。
そういえば高校のときの英語教師もよく言っていました。「英語には日本語では表せない表現法がある」と。その逆も同じでしょうが。
教育の仕方も難しいですねえ。
会話重視なのか読解重視なのか。
後者だと文法は絶対に御座なりに出来ません。
今朝の番組を見る限りでは、9割程度の小学校が週一で取り入れていて、会話重視の傾向があるそうです。まぁその程度なら、、、と言う気はしますが。
参考:http://meinesache.seesaa.net/article/24605605.html
実際のところ、
英語というのはある種「筋トレ」みたいなもので、週1時間程度やるだけでは、いくら「柔軟な児童」だとしても、頭痛の種になるだけです。
だろうなぁ、、という。まぁ興味を持つように、って意味では良いんでしょうけど、ただでさえ時間減らしている義務教育でソレを盛り込むのは無いですね。
小学校から習っておいて、外人とかつふつ話す機會がないと不満でしょうし、
気力も減退していくでしょうなあ。
読解だと原書、対訳本とありますから持続可能なんですが。
ご尤も。
大体、普通に暮らしてて英語で話さざるを得ない機会なんてそうそうありません。日本で生活してるんだし。
#いまだ、職業次第であるのも事実。
で、必要に応じて学ぶことは出来るし、興味が無ければ義務教育化しても十分に使えるまでに覚えさせることも出来ないでしょうね。