応援もしたくなくなるってのが最悪なことであって、プロチームの場合、たとえ成績が悪くても何かしら見所を作る努力は必要だと思う。
#野球なら野球で。
先日帰省の折、地元の同級生と飲みに行ったのですが、そこで野球の話が盛り上がりました。何年かぶりに顔をあわせても共通の話題があるとやはり面白いですね。そしてそういう場であっても、たとえ最下位でもあっても誇ってチーム自慢が出来る自分は幸せだとも思います。
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プロ野球のセ・リーグで最下位に沈む横浜。チームの明るい話題といえば、売り出し中の4年目の外野手、吉村裕基(22)の成長ぶりだ。東福岡高の先輩で4番に座る村田に次いで、チーム2位の18本塁打(17日現在)を放っている九州男児は、その顔つきから「ハマのモンチッチ」の愛称でも親しまれている。
本人は嫌がってるらしいですが>モンチッチ
まそれはともかく、こういう応援したくなる材料があるからこそ面白い。
72試合で18本というペースがこのまま続くと、30本近くまで到達することになる。残念ながら規定打席は難しそうだが(毎試合4~5打席稼がないといけない)、打率も.347。あの怪我が悔やまれてならない。
吉村の凄いところは、今のところスランプが無いこと。先輩の村田は好不調の波が激しいが(昨夜の猛打賞が復調のきっかけになればいいが)、吉村はソレが無い。だからこの高打率をキープしている。ただ、欠点として"踏みとどまれない"というのもある。
#四球を選ぶのが苦手。僅かに8。
72試合で69三振ってのは多すぎ・・・まぁスラッガーに有り勝ちではあるけどなぁ。
ま、コイツが5番にいるというのは頼もしい限りですよ。
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しかし鹿工勝ったなぁ・・・初出場で準決とは。しかしエース榎下は175球投げたらしい。準決は明日、連投になる・・・厳しいなぁ。
ところで・・・これも帰省の時の話。高校の体育の教師をしている叔母から聞いたんだけど、まぁ初出場でここまで行くだけでも立派ではあるけど、一応、鹿工は強くてもそんなにオカシクは無かったらしい。
#いや、そりゃ県大会レベルだろうけど(だから全国準決は立派)
今年のメンバーは2~3年前に、先を見越して県内の優秀な選手を集めていたとかなんとか。
#この際、公立だからとかは関係ないんでしょうな。
#公立でも勧誘くらいは出来るし。
むしろこの2年、県代表争いに入れなかったのがおかしかったくらい、とのことでした。まぁ花開いてしかもここまできちゃったんだから、今更そんな謗り(ってのとは違うが)を受けることはないでしょうけど。
残ってる他の3校は常連・強豪ばかりですね。そんな中で外人部隊でもなくここまでこれたんだから十分に誇って良い。明日も気張れよー!!
今年は随分、逆転劇が多いように思えます。
而もぽんぽん点が入るので、大差で
勝敗がついてますね。
そして、その點數の桁と同様に、何やらこの数日の間に日本も紛紜が起こって、騒がしかったのですが、
そのなかでも私感として超群していたのが、これです。
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1155894965/
勿論、これは嘉することでありまして、古典復興に繋がればいいと思っていますし、
文化の継承、日本の歴史に対して瞠目するにはこういった活字に触れるという行為はかかせないでしょう。
まあ、。
>「復古調」と指摘する声もあり、議論を呼び>そうだ。
という意見がこれを粉砕してしまいそうで、怖いのですがね。
http://www.kid-game.co.jp/8bitcd/
あとはこれです。
まさか、ドットがみられるとは思いませんでした。
ポンタさん>
今年は随分、逆転劇が多いように思えます。
準決の和歌山VS.帝京はありえなかったですね(苦笑
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1155894965/
勿論、これは嘉することでありまして、古典復興に繋がればいいと思っていますし、文化の継承、日本の歴史に対して瞠目するにはこういった活字に触れるという行為はかかせないでしょう。
どうなんでしょう・・・普通に考えて、低年齢の時分にアレを教えても逆効果にしかならないと思うんですが。まぁ「復古調」云々で文句言ってきたら・・・言ってくるんだろうなぁ。
逆効果にはなりませんよ。
教えなければ一切読めるようになりませんし、
教えれば読めるようになります。
それなら中学生や高校生に教えて、どうなっているんだと問い返したい気分です。
よく国語教育において、簡単なものを教えて徐々に難しくしていくという意見がありますが、今までそれをやってきてこのような惨状になったわけですから、その意見は見当違いです。
逆に難度の高い文章を読ませて、子供たちがそれについてくるといった例は有りますし、そもそも戦前世代の文章力、読解力を鑑みれば、左右なく私なら支持します。
ゆとり教育と同じです。
簡単にすればするほど、馬鹿ができる。
数学にせよ理科にせよ、内容量を軽くしたからといって、できる人間が増えたかというと
減ってますし、英語も会話教育中心になったからといって会話が出来るようになった人間が多いかというとそんなことなく、英文も会話もどちらも出来ない人間を増加させているだけです。
ポンタさん>
言われてみて2つの考えが出てきました。どっちがベターなのか?はまだ整理出来ません。
それなら中学生や高校生に教えて、どうなっているんだと問い返したい気分です。
読解力を得る(というか、文章を読むことの経験則を身につける)前にアレを読んで解るのか?という反論と、同時に、逆にそういった型を覚える前に教えることで覚えやすくなるのかもな、という同意があったりして。
#幼少からの英語教育もその1つか。
成果ちゃんと上がってるのかは知りませんが。
小さい子供はよく象形的というか、、、そういう覚え方をするんですよね。文意とかそういう部分まで汲むには経験則も必要だし、まして古文にあるような題材って結構難しいのではないかと思います。
よく国語教育において、簡単なものを教えて徐々に難しくしていくという意見がありますが、今までそれをやってきてこのような惨状になったわけですから、その意見は見当違いです。
何をして「惨状」としているのか?というのもあるんですが、しかし、小学校から教えて上手く行くか?ってのも疑問だと思いますけど、自分は。
#まして現代の。
逆に難度の高い文章を読ませて、子供たちがそれについてくるといった例は有りますし、そもそも戦前世代の文章力、読解力を鑑みれば、左右なく私なら支持します。
であれば、古文ではなく現代文の難しいところから入ってみるのはどうでしょう?
とりあえず今の言葉の乱れをなんとかしてから・・・という感じで。
・・・とここまで書いてまた1つ浮かんできました。
結局難しい"文章"を読ませるのであれば、現代も古文も変わりないのかな?と。
ゆとり教育と同じです。
簡単にすればするほど、馬鹿ができる。
これは同感ですけど。
個人的には、低年齢から教えて効果が得られ易いのは文系の学問よりも理系の学問だと思っています。論理思考は命題に対する正しい解が得られれば経験は関係ありませんし。ついでに言うと、順を追って覚え易い。
だから数学とか理科関係の勉強は低年齢のうちからどんどんやって欲しいですね。
>読解力を得る
>前にアレを読んで解るのか?という反論
根本的に古典に求めているものは何なのかを一応、心底を発露させてみますと、
私は古文で「意味」を取ること自体は全く必要がないと思っています。
というのも、子供にそこにある劃然たる意味は読めるわけがありませんし、何よりも古典というのは我々、大人ですら時期によって千変万化の解釈をしてゆくものとみているからです。
つまり読み方が多数あり、、讀む毎に新しい発見、楽しみ方が見出せるのが古典です。
汎通さんは『ネギま!』の書評をなさるときに、
よく「細かく情報が詰め込まれて、一度、讀んだきりでは逃している事事物物がある」とおっしゃいますが、
これこそ正に古典となる本に秘められた魅力であり、必然となる要素です。
『ネギま!』が後世まで語り継がれるかどうかはわかりませんけれど。
一回目の「意味」は大した価値はありません。
寧ろ、その後の人生に措いて、経験や知識を蓄えて云った各人が再びそれに触れたときの
「意味」付けに各々の価値がでてきます。
2chで頻繁にみられるスレで
「もう一度、遣って欲しい番組」や「今までで最高のアニメOP」「最高のゲーム」などというのが目立ちます。
あれは畢竟、当時、心血を注いで遣っていたゲームや観ていた番組などが人生に措いて
いまだに生きているために起こる回想です。古典学習はこの回想にひとつ足される可能性のある作品群とみることもできます。
昔、ゲームやアニメを楽しんでいた人は其処に意味を求めたでしょうか。
たいした意味なんか求めていないでしょう。ただ、面白かっただけです。
けれど、こうして思い出して再び楽しんでいる。古典もこういった体験のひとつです。
然しながら、ああいったものは子供の頃に出会わなければ大人となり多忙となった頃に巡り合うことはまずありません。
何よりも難解な文章、密度の濃い内容に幼き時分よりも所要時間が減った人はついていけません。
漫画やゲームは誰でも簡単にできます。それは汎通さんが今でも軽くやっておられることが証左でしょう。
子供の頃に習った事を思い出しますと、
果たして大人になってから、数を足したり引いたり、漢字を書きまくったり、
ああいったことを真面目に勉強できるだろうかという疑義があります。
まあともかく、子供の時分は遣りました。
何故と云うに、他に魅力のあるものを幼時では見つけることができなく、力を注ぐものが誰かに与えられたものに限局されたからでしょう。。
大人であったら、そうはいきません。
自我がありますし、反抗心もある。
選択肢はよりどりみどりとなり、注意散漫で習得できないでしょう。その方面に行く人でなければ実践躬行とも
いかないでしょうしね。
>同時に、逆にそういった型を覚える前に教えることで覚えやすくなるのかもな、という同意があったりして。
>小さい子供はよく象形的というか、、、そういう覚え方をするんですよね。
>文意とかそういう部分まで汲むには経験則も必要だし、まして古文にあるような題材って結構難しいのではないかと思います。
それで上記については私と汎通さんは同じ考えをもっていると思います。
結局は漢文の文章を読んでおけば、
現代の日本文をみても臆することなくすらすらと読み薦めていけるんですね。
語彙は明らかに漢文の方が豊富ですし、縦横無尽に使われていますから。
實際、本を読むことが出来ない人というのは語彙や漢字の使用頻度に圧倒されて読む気が
なくなってしまうことが多いと思うんです。難度の高い文章に興を示す人はそれ以前に本について
有る程度の慣れや冊数を重ねているものですから。
私は「読解法」なんてものは後から身に着ければ良いものだと考えています。
第一段階として言葉を知らなければ讀むことはできませんし、また小学生程度ではそのようなものを教えても、
知能が其処までいきませんから、活かせません。
詮ずる所、「文意は求めないが、語彙はもとめる」のが古典を教える目的の一つに思っています。
有名どころでいうと、石井式漢字教育というのがあります。幼児期の方が遥かに漢字を習得しやすいと証明した人ですね。
象形的な方が覚えやすいとのことですから、汎通さんの仰るとおりです。
ところで英語でも「読解法」でそういった風潮が有りました。今でも有りますが。
「キーセンテンス」だの「パラグラフリーディング」だの輸入してきたカタカナ英語を
そのまま使用して受験生を誑かした予備校業界の罪のひとつです。
これなんかは一つ一つの文章を読む事を軽視し、文法を御座なりにすることに一役買いました。
その結果、どうなったかは云うまでも有りません。
ちなみに幼少からの英語教育については毀誉褒貶です。
私は反対です。一部の人間に優先して英語を叩きこむならまだしも、
なんら英語と関係のない人たちに他の科目を教える時間までも削ってやらせる意義はみいだせません。
>何をして「惨状」としているのか?というのもあるんですが、しかし、小学校から教えて上手く行くか?ってのも疑問だと思いますけど、
>自分は。
>#まして現代の。
「惨状」というのは、それこそ昨今いわれている、PISAの試驗であったり、漢字の書取りの正答率乃至は汎通さんが記されている
言葉の乱れというやつです。
それで漢文、古文に關してはやはり上に書いたのと一貫していまして、「意味はともかく、音読をさせて暗誦させる」ことです。
ただこれだと、子供も納得しないでしょうから、一応の訳と言葉の意味を教えます。あとはもう暗誦です。
教師の能力はこれならほとんど影響しません。寧ろ、ゆとり教育において「総合の時間」などという教師の自主性に任せた授業が
大して機能せずに終焉を迎えつつあるのをみると、ただ暗記させる授業以外は学校教育には適さないのではないでしょうか。
実効性に關しては、陰山英男さんや齊藤孝さん、石井式漢字教育の本やネット上での検証文などを御覧ください。
まあそういった例をいうまでもなく日本は江戸の寺子屋時代から子供たちがそういったものを読んでいるんですけれどね。
>古文ではなく現代文の難しいところから入ってみるのはどうでしょう?
ここまで来て、ようやっと言葉に成しえたのですが、これは私がまずかったですね。
古典に対する考えを説明しないがために、余計なところで議論が噴出しています。
汎通さんは私が古典に要求しているものは「読解法の育成」と思っていらしゃるのではないでしょうか。
私が古典に求めるもの、「本に食いつける力(語彙、文型取得)と文化の継承」にあります。
後者の理由にいたってはそもそも教育とは昔の財産を今に伝えるものですから、遣るのは当たり前で、
国語だけ現代文を熱心に教えると云うのは最早、教育じゃないですよ。
決して、「意味」を常に欲する読書ではありませんし、徒に難解な書を好んでいるわけでも有りません。
ただ古典に親しめば現代に措ける文章で理解はともかく読んでいくことで悩む事はありません。
無論、哲学書や専門書に關してはめいめいの才覚や鍛練が必須になるでしょう。
けれどもそれ以外の本では困る事はないです。
さて、
現代文となるとどれが名作なのか評価が判然としていなく、而も現代の本を読めば古典が読めるようになるわけではありません。
この時点で、「文化の継承」は不可です。
逆は可です。なぜなら、今のところ、―但し、三流ではない―作家などは取りあえずは古典を基礎として書いているからです。
文体の基礎、筋の根底にあるのは古典です。ですから、漢文、古文に触れていれば現代の作家は読めるようになります。
また現代作家は文章が易しく、分かりやすくはありますが、だからといって簡勁とはいえません。
>とりあえず今の言葉の乱れをなんとかしてから
これを修正するには第一言葉に關して各人が注意を払うこと。つまり活字に関心があって、
日本語を大切にしようという意識がないと無理でしょう。それならどうやって、そういう意識をもたせるか。
その国の文学、名作と呼ばれるものを読ませるしかありません。辞書を引いたり、言葉に繊細になります。
そうやって、日本語の至美至妙を得て大切にするようになるのではないでしょうか。
口だけでそれは正しい、誤っているというのは簡単ですし、ある程度の効果は存在するでしょう。
けれどもこればっかりは皆々がそういった意識を得なければ、防いだり、修正することはないですよ。
どうも何れか受験世代が生み出した考えなのか知れませんが、
特に「暗記」というものを厭い馬鹿にしすぎている観があります。
第二に漢文、古文を基礎とした言葉遣いをすることです。
そうすれば大体は乱れる事は有りません。そのための暗誦でもありますね。
>結局難しい"文章"を読ませるのであれば、現代も古文も変わりないのかな?
そういった訳で、上のはちょっと違います。
けれど、私と汎通さんの古文の「難しい」には差異があるのかもしれません。
私の古文の難しさは「見た事も聞いた事もない文章を読むために必要な文法や単語の勉強」と。
汎通さんの「難しい」は「内容の理解」なんでしょうか。
私の意見は上で述べたとおり、「内容の理解」を求めないものなので、汎通さんのもたれた不安要素は微塵もないのです。
さらには暗誦を徹頭徹尾やっていけばいい、子供には言葉の意味はわかっても文法は理解出来ないと思っているので、
私見の方も「単語の勉強」以外の「難しい」は取り除かれています。
それに我々が中学校や高校だので習った古典とはそんなに難しいものでしたか。
『枕草子』にせよ、『宇治拾遺物語』にせよ、そのまま受け止められるものじゃないでしょうか。
>個人的には、低年齢から教えて効果が得られ易いのは文系の学問よりも理系の学問だと思っています。
>論理思考は命題に対する正しい解が得られれば経験は関係ありませんし。
私としては、子供は暗記力とそれに打ち込める時間があるので、古典の暗誦を推奨するわけです。
何より年取ってから文章のかたちの要を得ても遅い。
大人になってからでは遅いですからね。覚えようと思っても子供ほどにはいきません。
数学に關しては論理的思考は子供にはきついというのが聞くところですが、
その年齢にあった問題ならできるでしょう。勿論、今より難度をあげるのは大賛成ですが。
けれど、これも私が数学を好きだからで、嫌いな人からは捨てられるかもしれませんね。
理系の方は古文、歴史を嫌い、文系は数学、化学を憎む傾向があるように思えます。
そろそろこういった文系、理系という分け方も終わらせるべきなのかもしれません。
今件は何か色色と齟齬があったようで、蒟蒻問答の感があります。
突然ですけれど、こういったスレがありまして、私としては何故ここまで英語に劣等感を抱く人間が生まれてしまったのか
謎であります。一冊でも英語関連の書物を読めば慎重派に回らざるを得ないでしょうに。
また日本史に關しても疑義を持つ人が多いようです。暗記が厳しいのは確かですが、歴史の流れを有る程度、摑むのであれば
言葉も少々必要になりましょうに。
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1157175987/
母国語よりも英語が大事としたら、
何を以ってこの国は主権国家で、日本という国なんでしょうかねえ。
結局、これも日本語を教えてこなかったことの積弊なのでしょうか。
取り敢えず、教育関連の新書をもう少し漁って見る事にします。